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ルクレクサ誕生秘話2〈第99号〉

到着は2012年12月21日。
ホームステイ開始が2013年1月5日。
その間の2週間は、ユースホステルやホテルをつなぎ過ごしていました。
ホームステイまでの2週間で、よりフランスでの生活に慣れよう、という考えでいたのですが、
宿泊費を抑えるために行ったユースホステルでの生活が厳しく、苦しいスタートとなりました。

その日までに、フランス語の勉強を独学で2年(仏検3級レベル)、ECCで1年会話レッスンをしていました。
にも関わらず・・・現地に行ったらほとんど通用せず、生きていくために必死で語学の勉強をしていました。
特に大変だったことがリスニング。
聞き取ることができなければ、まともに返答することすらできません。
当初は、会話が通じないことが嫌で、出歩くことも億劫。人と話しても恥ずかしい思いをするだけ、という理由で、
英単語をいうだけで何とかなるマクドナルドばかり行っていました(ビッグマック、ポテト、サラダ、コーラがよく通じました)。

年が明け、しばらくするとホームステイが始まりました。
ホストマザーと、もう1人の留学生ロハ(アメリカ人、ローラ。フランス語の発音だとロハというような響きになります)との共同生活です。
ホストマザーは留学生の受け入れをしていて、私のつたないフランス語を何とか聞こうと頑張ってくれました。
ロハは、19歳のアメリカ人の女の子でした。事前にかなりフランス語を勉強していて、この時、すでに流暢にフランス語を話していました。
困っても、母国語の英語で何とかしてしまうため、フランス語も英語も上手く話せない私は半端ない劣等感を抱いていました。

翌日には、凱旋門近くにある語学学校へ行き始めます。
最初に、語学力チェックがあり、私は、DELF A1とDELF A2の間くらいと言われました。
先生に、「少し厳しいかもしれないけど、DELF A2のクラスへ行くか、その一つ下に行くか、どっちにしますか?」
と言われ、迷わず、
「A2でお願いします。」
と言いました。
ワーキングホリデーで、かつ仕事をすることも考えれば、ぼやぼやしていられない。
それに、今のフランス語の話せない自分は嫌だ。そう思い、無理を承知で背伸びをしました。

こうして語学学校が始まりました。
私がまず通ったのは、週5日の3カ月コースでした。
日本人、中国人、韓国人。
それに、サウジアラビア人とイタリア人で構成される15名程のクラスでした。

 

 


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