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私の脱毛履歴書3 〈第151号〉

最近は、理学テストの勉強に熱中しています。その後、お灸の練習。
午後からは、鍼治療による血液感染のリスクに備えてB型肝炎のワクチン接種を受けに。
夕方には、再来年の国家試験会場の予定となっている西巣鴨にある大正大学の下見へ。

JR巣鴨駅から都営三田線の西巣鴨駅まで徒歩で向かったのですが、途中にあった巣鴨地蔵商店街の入り口を見て感慨にふけりました。大学4年生の頃、「紫外線対策の目的は何か」という卒業研究をしていました。その際に、高齢の方の意識調査をしようと考え、アンケート用紙を片手に、水戸から巣鴨に出てきました。
今考えると、わざわざ巣鴨まで出向く必要はなかったのに、高齢者=巣鴨という先入観によって、私は寒空の下で、不審がられながらアンケートを取っていました。
今回は、そんな大学4年生の頃に焦点が当てられています。


第151号 私の脱毛履歴書3

高校生活での反省を生かし、就職活動は大学1年生から少しずつ始めていました。
当時は、就職氷河期と言われていましたが、私は、大学4年の4月上旬には内定が決まっていました。
内定後、少し心の余裕ができたので、胸部と腹部の脱毛を始めることにしました。
アルバイトの掛け持ちと、滞りなく仕送りをしてくれた両親のおかげで、躊躇せず脱毛できる程の貯金をしていました。
振り返ると、私が一番金銭的に余裕があったのは、大学生の時でした(^^;

早速美容外科に行き、プランの説明を受けると、その場で申し込み。
代金を聞き、
「ちょっと引き出してきます。」
と美容外科を出て、すぐに50万円程の現金を学生が持ってきたことには、事務員の方も少し驚いていたようでした。

医療レーザー脱毛には慣れていたので、決められた周期で通うだけだと思っていました。
1回目も通常通り。2回目も通常通り。
でも、3回目に異変が。
レーザー光は、黒い色素に反応するため、メラニン色素が多い部分は、出力を落として調整するか、避けるようにすることが一般的です。
にも関わらず、3回目に照射した人は、そこを気にせず施術してきました。
一部、今までなかった質の痛みがあり、『???』と思ったのですが、その日は、帰宅。
その後も、ジンジンした痛みが引かず、やがて、大きなかさぶたとなり、それが取れた後は、毛というより色素が少し抜けていました。程度の大きい火傷でした。

当時の私は、そこを追及しようとはせず、半年後くらいに脱毛は終了しました。
その後、通っていた美容外科が閉院することが新聞に掲載されていました。
医療レーザー脱毛は、医師、看護師等の医療従事者が行うこととされているにも関わらず、その院では、何の資格も持たない事務員にも脱毛をさせていたそうです。
関連記事は以下
http://seikeiuwasa.blog92.fc2.com/blog-entry-153.html

当時は、現在に比べ、美容医療=金儲けの図式がより強かったと思います。
競争も少なく、やっていれば何とかなる、という印象を受けていました(大学4年間で美容医療に400万円程使ったからよくわかります)。
『人の悩みに付け入るやり方は気に入らないな。俺が新しい未来を作らなくては。』
と大学生の私は妙に燃えていたことを覚えています。

こうして大学生活4年が終わりました。
脱毛と共に歩んだ日々でした。
次の脱毛は、2年半後。
社会人3年目になり、ほんのちょっとだけ余裕が出てきた時期になります。

 

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