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命と器 〈第143号〉

本日は施術4件。
その後、お灸の練習をしました。
単純な動作ですが苦戦しています。奥が深いです。


命と器

大学2年生の頃、あるテレビアニメにはまっていました。
「美味しんぼ」です。
何も誇れるものがなく、これからどうやって生きていこうかと模索していた当時の自分にとって、自分なりの生き方を貫く主人公の山岡士郎はカッコ良く見えました。その父親である海原雄山はもっと好きです。

アニメだけでは飽き足らず、当時買ったばかりの原付に乗って古本屋を回り、コミックを買い漁りました。
原付の前のカゴ、座席の下、リュックに大量のコミックを入れ、何店舗か回り、全巻揃えました。
美味しんぼを通して、食のありがたみ、深み、可能性などを学びました。

その中で、最近になってよく思い出す場面があります。
テレビアニメでは121話。
コミックでは21巻になるかと思います。
「命と器」という話です。
私が説明するよりも、Yahoo知恵袋に良い紹介がのっていたため、そちらを引用します。

(ここから)
二木会長と、人間国宝の陶人と山岡が料亭で食事をしていた時のこと。
二木会長は陶人から新作の茶碗を受け取ることになっていた。
茶碗を見せてもらった山岡も、傑作だと太鼓判を押す。

しかし料理を運びにきた仲居が小皿を落としてしまい、茶碗が欠ける。
二木会長は激怒。取り返しのつかない失敗だと仲居を叱責し、
仲居の方も『死んでお詫びする』と号泣しながら謝罪する。

いたたまれなくなった山岡は、料亭の台所へ行く。
そして、そば粉とお湯を持って戻り、割れた茶碗でそばがきを作り始める。
『欠ける前はさすがに使えなかったが、今は安心して使える』
と、欠けた器の中を箸で勢いよくかき混ぜた。
止めようとする二木会長。しかし山岡は、
『人間国宝の作品とはいえ、もとは陶人のジイサンが泥をこね回して作ったもの。
それが人間の命よりも価値があるというのか』と、二木会長に説く。

二木会長はこの言葉で自分の態度を大いに反省し、仲居に謝罪する。
(ここまで)

話の内容としては、このような感じですが、私が心に残ったのは以下のセリフ。

人間は必ず死ぬ。死ぬから人間は尊いんだ。
陶器だって同じだろ。プラスチックや金物の器みたいに、何をしても壊れない器なんてありがたくも何ともありゃしない。
この茶碗は本物の茶碗だから欠けたんだ。儚くて悲しいことだけど、だから美しくて、価値があるんじゃないか。

あれから14年がたとうしていますが、今でも思い出されるのは、それだけ自分にとって意義のある言葉だったということでしょう。
セミナーまであと1か月ほどとなりました。
単なる食事、栄養素の情報提供という枠組みに収まるのではなく、食事の意義、人生にとっての意味、そして、それに匹敵する良質な知恵の伝授なども踏まえて準備していこうと、「命と器」の話を思い出し、気持ちを新たにするのでした。
現在、内容の概要をまとめていますので、完成次第公開していきます!