自らの描く設計図〈第131号〉
今日で葛飾に移ってきてちょうど1年になりました。
「約60兆と言われる細胞全てをリニューアルするための3年(1095日)」
と位置づけ駆け抜けてきました。
やれることはやってきたので、この1年に後悔はありません。
気を入れ直して、このまま継続していきたいと思います。
(ここから前回の続き)
開業から1年半。
修正に修正を重ね、生活ができて、やっと貯金もできるような状態になりました。
欲しい本を買う。行きたい研修に行く。受けたい施術を受ける。
少しずつですが、それができるようになってきました。
私は、1年の始まりに目標を立てるのですが、7月の時点で達成ができてしまいました。
その時、改めて、将来展望と現状について考えました。
『いやぁ、廃業寸前にもなったけど、何とかここまで来たか・・・』
という思いと、
『数値を見れば、もうこの構造は限界が近い。俺が目指してきたものは、この先にあるのか?』
という思いが交錯していました。
1年半もやっていけば、売り上げ予想は計算すればわかります。
この頃からようやく気づいたのですが(本当は、開業する前に気づくべきですが)、結果は、事業計画を立てた段階でほぼ決まっています。
どんな業種を選ぶか、どれくらいの規模でやるか、どれくらいの資金を投入するか、どんな商品を扱うか、どこの地域を対象とするか、どのような方を想定しているか、営業方法はどうするか、などの掛け合わせで、売上や利益の予想値は予め計算することができます。
建築物を建てる時には設計図を描くと思います。
そして、出来上がったものは、設計図にかなり近いものになるはずです。
事業もこれに似ている、と感じました。
私の描いた設計図は、私の目指しているものとは、もはや合致していませんでした。
『最悪の状況を脱して、ここまで来たのに、気持ちの火は消えるどころか、勢いが増すばかりだ。せっかく生まれてきたのだから・・・、人間いつか必ず死ぬ日が来るから・・・、自らの可能性に挑戦したい。』
そう思いました。
医学部へ行くか、東洋医学を学ぶか、しばらく考えました。
誠快醫院の鹿島田先生にも相談に伺い、医学部受験はやめ(自分のビジョンと医師免許との関連が見出せなかったこともあります)、東洋医学の勉強をすることに決めました。
静岡の熱海にも専門学校がありますが、私が欲しいのは免許ではなく、確かな実力だったので、一番勉強になりそうな道に進むことにしました。
そして、2016年3月30日、葛飾青砥にやって来ました。