バスケとの出会い 〈第78号〉
本格的にバスケットボール(以下、バスケ)を始めたのは小学4年生の頃でした。
体育の授業でやったポートボールというものが面白く、これがきっかけでバスケを始める友達が増えてきました。
加えて、この頃「SLAM DUNK」という漫画が大人気で、にわかバスケファンも急激に増えていました。
私は、水を得た魚ようにバスケに熱中しました。
振り返ると、人生の大きな転換点の一つとなりました。
当時は、近くに立派なゴールがあったわけではなく、近所にある、バスケットゴールのような車止め(今でも残っています。奇跡的にかなりバスケットゴールに近い形、高さをしていました。)をゴールと見立て、練習していました。
『桜木花道は、10日間で2万本のシュートをやったわけだから、1日2000本打てば、俺もシュートがうまくなるわけだな・・・』
と思い、朝7時から夜6時までシュート練習をしましたが、小学生の私にできたのは1日1000本が限界でした。
『もっとバスケが上手くなりたい』という気持ちは留まることはなく、お小遣いや図書券は、バスケットボール、生理学、スポーツ科学の本などにつぎこまれていました。この時やっていたことが、将来の仕事につながります。
残念ながら、習い事としてやっていた水泳の成績が良く、なぜだか頻繁に競技会にも出ていたので、ミニバスケットボールには入れさせてもらえませんでした。
私は、常に中学の部活に照準を合わせ、漫画ばりの(参考にしていたのは、キャプテン翼とドラゴンボール)非常識なトレーニングを続けていました。
そして、中学生になり部活が始まりました。
ここで大きな壁に当たりました。それは、
「個人能力は高いが、チームプレーになると上手く機能できない」
ということでした。
友達と遊びでやる時と、実際のバスケコートでやることは空間的な違いがありました。
また、1人で動く場合と5人のチームで動く場合もまた大きく違いがありました。
練習量も情熱も以前と変わりありませんでしたが、イマイチ試合になると活躍できませんでした。
『ミニバスに入っていればな・・・』
と時々思うこともありました。
実戦と1人の練習ではカバーできる範囲が違うということを痛感しました。
中学3年生の6月で部活は引退しましたが、相変わらずバスケの練習は続けていました。
『高校でもバスケをやろう。こんな風に試合で動けたらいいな・・・』
と理想を描きながら、日々が過ぎていきました。