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プロスポーツ選手のように

2005年になり、本格的に選考会が始まりました。私は、約100社にエントリー。50社以上の会社説明会に参加。そして、20社くらいの選考会へ・・・と意気込んでいましたが、水戸から東京まで行くとなると、高速バスを使っても、往復5000円、さらに、宿泊が必要な時は、さらに宿泊費も、となり、段々資金が怪しくなってきました。そのため、7社のみに絞り、選考会に進むことに決めました。

就職氷河期と言われると何だか大変なご時世だと思われるかもしれません。しかし、この時の私が大変だったのは、むしろ、花粉症のほうで、いつもマスクと目薬は欠かせない状況でした。私は、3日に1度のペースで水戸と東京都内を往復をしましたが、小さな1人旅を楽しんでいました。

肝心の就職活動ですが、2社はすぐに落選し(1社は会社の場所を間違え、到達できなかったため)、食品会社、2社の経営コンサルタント会社(いずれこの2つは倒産してしまいます。内一つはワイキューブという会社です。)、2社のエステティック会社だけが残りました。どの会社も3回から4回程度の選考会が行われるのですが、2次選考くらいから、「子どもができたら育児休暇は取りますか?」「他に選考会を受けている会社はありますか?」「志望動機を教えて下さい」など突っ込んだ質問が増えてきました。ここで、嘘の回答ができない私は、これ言ったら落ちるな、とわかっていても自ら地雷を踏み、あえなく撃沈していきました。

そうして残った会社は、圧倒的第1志望のエステティック会社だけになりました。ここに落ちたら就職活動やり直し。でも、それよりも入社したらどんな風になりたいか、ということばかりに花を咲かせていました。ここで『どうして自分はそんなにエステティシャンになりたいんだろうか?』と考え出しました。

実は、この時、美容外科医になることも考えていて、へき地に行くかわりに、学費の面で優遇がある防衛医科大学に行こうかな・・・と考えてもいました。ただ、自分が美容外科によく行っている中で、優れた美容外科と出会った試しがなく、魅力的な仕事には見えませんでした(10年前は、志のある方よりも、儲かるから美容医療、という方が今より多かったと感じます)。

それに加え、『自身が色々な方と接していく中で本当の学びと成長があるのではないか、自分自身もバランスの良い人間になりたい』と思いました。そして、エステティシャンという仕事は体力も大事な仕事のため、年をとってからやろう、ということは大変です。『体力がある若いうちからやっておけば良かった、と後悔したくない。それに、サロンが球場と捉えれば、エステティシャンの自分はプロスポーツ選手で、毎日のサロンワークは試合だ』と考えると、何だか自分がプロ野球選手にでもなるような気がして、さらに夢が広がっていきました。

大学4年の4月、見事内定通知が届き、男性エステティシャンの道が開けました。

 

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